「やってくれるねー」
「俺たちはお前を引き立てるために試合してんじゃねーぞ！」
「ははははは」
楢山が日生を小突き、袖達が半ば苛立つように言った。安はその隣で笑っている。
レギュラーチームのベンチが温まり、岩本の気が楽になったのか、栄人の調子が崩れたのか。どちらにしろ日生のホームランが影響していた。岩本は栄人の投げた二球目を思い切り打ちつけセカンドベースについた。
「っしゃー！！ 岩本さん！ ホームに返しますからね！」
六番打者望月がバッターボックスに立つ。岩本は顔をニカリと見せて彼に答えた。
さて、どうしようか。栄人は望月を正面に考えた。望月としては、ここで打って流れを完全に掴みたいところだろう。それを阻止するのが俺の役目だと、栄人はマウンドの地にしっかり足をつけた。
「ストライク！！」
負けるものか。部内試合であろうと夢高レギュラー相手だろうと、絶対勝ってみせる。野々松から球を受け取り、ランナー岩本を警戒しながら二球目に集中する栄人。望月の隙のない構えを見て、過去の記憶とどこか重なった。
栄人、どうしたんだよ。頼むから三振とってくれよ。今日のお前、らしくないぞ。なんかがっかりだったな。天才ピッチャーって騒がれてたのが嘘みたいだ。実は栄人って、大したことないんじゃね？
現実の雑音に交じって、昔の仲間の声が聞こえたような気がした。栄人は球を強く握り締め、それらを振り払うように二球目を投げた。
意識しすぎたせいか、力んで上手く投げられなかった。さすが先輩だ。自分のミスを一球たりとも見逃さない。
望月の打ったライナーは三遊間を抜けようとした。岩本はサードに、望月はファーストに向かって走り出す。
三者連続打たれた事実は、栄人に嫌でも思い出させた。投げても投げても途方もなかったあの試合。聞こえるのは球を打つバットの金属音、相手チームの盛り上がる歓声、味方の溜息。
今も歓声が上がっている。そのなかで確かに、ライナーを捕るグラブの音がした。
「智志ー！」
そう叫び、雅司はセカンド智志に送球した。ファーストへ向かっていた望月は失速し、岩本は慌てて引き返そうとしたが間に合わず、智志は捕球してベースを踏んだ。
「アウト！！」
「あのライナーをよく捕ったな！ 一年のショートは誰だ？」
「広島の河上兄弟の片割れですよ。セカンドを守っているのが双子の兄でしょう」
「セカンドもさっきから隙がないんですよね。ずっといい動きしてる」
記者たちの高評価を得る河上兄弟。進塁、ヒットを防いだ表面的なものよりも、栄人は精神面で二人に救われた。
「ありがとう、雅司、智志」
「ええよー」
「あれくらい何でもないわ」
あの試合にはなかった、勢いあるライナーを捕るプレー。栄人は肩の力が一気に抜けたような気がした。今、後ろを守っている仲間は自分の味方なのだ。
続く七番打者武川を三振にとり、栄人はベンチに向かった。スコアボードにレギュラーチームの一点が刻まれているが、心は恐ろしいほど穏やかだった。
「流石栄人だな」
「俺もそれなりに野球してきたけど、栄人ほど安心するピッチャーはチームにいなかったな」
「このまま先輩たちに目に物見せてやろうぜ」
「まずは一点取り返さないとな！」
今まで縮こまっていたチームメイトが、積極的に前へ出るようになった。それは次第に選抜チームのベンチを温め、レギュラーチームの流れの掴み合いをしているようだった。
「調子良いみたいだな」
「うん」
「ペース配分ちゃんと考えろよ」
「大丈夫だよ。本当に調子が良いんだ」
自分の左腕に流れる熱い血液を感じながら、栄人は野々松の問いに答えた。
（これが俺の、本当の野球だ）
視線を日生に移す。キャッチャーポジションにつく彼は、栄人が今何より欲しい存在だった。自分の野球を周りに認めてもらうためには、どうしてもあの人が必要なのだ。例えどれだけ遠い存在でも。
今まで積み重ねてきたものは確かにある。それを掴むように、栄人は左拳を強く握り締めた。
◇
三回は双方ランナーを出さず、ピッチャーの好投が続いた。
「あの一年生ピッチャー凄いよな！」
「今年の夢高は強くなるぞ！ きっと！」
レギュラーチーム一色だった観客から声援を受けるようになり、選抜チームは勢いに乗った。
四回表、選抜チームは二番打者からの攻撃が始まる。おじけていたメンバーも声を張り上げて応援に励み、縮こまっていた二番打者、続く三番打者も思い切りバットを振るようになった。
「いいぞー！ 思い切り振ってけ！」
ネクストサークルにいる栄人も声を出している。観客の頭の中を支配しつつある彼を見て、野々松は思った。
（あいつをもっと褒めろ）
試合の始まりこそ集中していないのかと疑ったが、栄人を思えばそんなことは有り得なかった。
野々松は、地元で開催された全中を観に行ったことがある。全国レベルというものをこの目でしっかり確認することと、鈴浦中の観戦が目的だった。
田舎の公立中学の戦いぶりは予選時から気になっていた。チームの総合力で言えば強豪私立のほうが断然上なのだが、チームワークの良さ、何より投手力の良さで鈴浦中は神奈川代表を勝ち取った。その行く末を見届けたかった。
あのピッチャー、どこまで通用するんだろう。
予選で対戦は叶わなかった。自分が強豪校へ進学すれば、あのピッチャーといつか対戦出来るだろうか。この時から野々松は、県下の強豪夢路高校への進学を考えていた。後にバッテリーを組むことになる栄人と対戦したいがための進路だった。
野々松は既に、栄人のファンだったのだ。素人同然のようなチームメイトを引っ張り、県予選優勝を果たした圧倒的投手力は魅力そのものだった。その栄人が、全中一回戦、徹底的に負かされた。
原因は相手チームの強さ、鈴浦中のチームワーク低下と練習不足だった。打たれる栄人、それをカバー出来ない野手、悪い流れを払拭出来ないチームワーク。予選時より数段衰えて見えた鈴浦中は、腹が立つほど、神奈川代表を名乗るに相応しくない有様だった。
一番腹立たしかったのは、憧れたピッチャーがこの程度だと周りに思われていることだった。
一緒に観戦していた友達が、栄人を見て言った。あのピッチャー、野球やめるんじゃね？ と。マウンドで泣き崩れ、誰にも手を差し伸べられなかった栄人の孤独。それを目の当たりにし、そうであって欲しくないと願いつつも、野々松は友達の言葉を否定出来なかった。
「ドンマイ！」
二番打者同様、三振して帰ってきた三番打者に栄人が声をかけた。あの時誰も栄人に言わなかった言葉だ。
バッターボックスに立ち、藤瀬と勝負する栄人。四球目をセンター前ヒットにし、危なげなくファーストについた。藤瀬相手に二打席連続ヒット、ベースから離れ盗塁を狙う大胆で攻撃的な性格、ベースとの距離はチーム一のスピードを誇示しているかのように見える。
ファースト楢山は藤瀬からの牽制球を捕球した。ベースとの距離は自信過剰の表れではないことを証明するように、栄人は帰塁した。
野々松の短い物差しで計れない選手はごろごろいる。その中に、栄人は確実にいる。栄人は才能に溢れている。あれをきっかけに野球をやめてしまうのは勿体ないと、野々松はあの時強く思った。それも、自分の物差しが短いせいだった。栄人は野球をやめなかった。本人はやめようとすら思わなかったかもしれない。
「ストライク！！」
神奈川で中学野球をしていた者なら知っている、有名なあの試合。それを経て栄人は夢高に来た。もう一度野球と向き合うために。
なら、自分は。栄人と対戦することを微（かす）かに願い、夢高に来た。栄人も夢高に進学したことで、その期待はある意味で崩れた。目標が薄まった今、自分はこの夢高で何をしたいのだろう。
「ストライク！！」
忌々しい変化球に苦戦する野々松。早くもツーストライクと追い込まれたが、恐ろしいほど冷静でいられた。ファーストにいる栄人をちらりと見て、その答えを見つけたような気がした。
自分は、あの才能溢れる選手を支え、最高のピッチャーにさせる。そして、最高のピッチャーに進化した栄人を抑え、自分は最強のバッターになる。
野々松は三球目を思い切り打った。バッターボックスの中で、今までにない心境で打った球は、フェンスを越えた。
「ほ、ホームランじゃあー！！」
「ノノぶちすげー！！」
河上兄弟がベンチで騒ぐ。寝ぼけ眼（まなこ）だった加間もベンチから身を乗り出し、落ちていく打球を目で追った。
「凄いよノノ！」
あの時一人で野球をしていた栄人は今、チームメイトを笑って迎えている。選抜チームのリードを噛み締めるように、ホームベースを踏む野々松。ハイタッチして栄人に言った。
「これでまた、野球が楽しくなったな」
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