015.light apricot / 試合開始

 記者たちは選抜チームを見て大笑いした。大口叩く一年生を馬鹿にして笑う者、その強気に感心して笑う者と様々だった。
 深津も笑っていた。無礼な一年生を叱る素振りも見せないまま、レギュラー含む、グラウンドにいる選手たちを優しい目で見守っていた。


 先攻は選抜チームだった。一回表、マウンドに上がる藤瀬に歓声が集まるなか、試合が始まった。選抜チームの先頭打者は俊足と評判の加間(かま)。彼は緊張した様子など一切見せないままバッターボックスに入った。
 突然行われた試合、相手は甲子園出場経験のある先輩、先頭打者というプレッシャー。この条件が揃った現状を何とも思っていないのか、加間は物怖じするような無駄な動きを見せない。肝が据わっているのを通り越して、感性が鈍いだけかもしれない。天才藤瀬と天才和城に挟まれたバッターボックスで大きな欠伸をしているあたり、心臓に毛どころか針金が生えていそうなふてぶてしさがある。夢高エースを前にしても怯まない彼の図太さは、強豪校のチーム牽引役並みだった。それはチームメイトの目に頼もしく映る反面、奇妙にも見えた。
 そんな加間は、藤瀬の投げた初球を叩きつけ、ライト前ヒットを成功させた。ライト安が捕球した時、加間は既にファーストについていた。通常より上の走力をもレギュラーチームに見せつけたようだった。
 甲子園四強のエースが、先月まで中学生だった一年生に初球を打たれた。試合は観客の予想を裏切る形で始まった。けれど、そこでリズムを崩さない藤瀬は流石というべきだった。
 藤瀬は俊足加間の盗塁を警戒しつつ、二番打者をあっさり三振にし、続く三番打者をセカンドゴロにした。セカンド道西が素早く捕球し、加間より速くベースを踏んでファースト楢山に送球した。楢山がそれを捕球し、併殺は成功。一年生の攻撃はあっという間に終わってしまった。


 一回裏、レギュラーチームの攻撃が始まる。一番打者の袖達はヘルメットを被ってバットを持った。その動作の合間で栄人の投球練習を見て、袖達は言った。

「普通じゃねえか」

 オーラなんて感じない、甲子園まで行けた限られたピッチャーはもっと覇気があった、あれはよくて県予選三回戦まで勝ち上がってきたピッチャーのようだ、こんなもので監督の御眼鏡によく適ったものだ。そう言わんばかりの、なめた顔つきで袖達はバッターボックスに入る。それでも、彼の中に油断なんてものは生まれていない。ピリピリと感じる袖達の威圧感は、後ろで構える野々松にそう思わせた。
 反対に栄人は、帽子を外し、囲っている観客を見渡していた。敵意むき出しの袖達を横目にリラックスしているようだった。栄人の一途な思いに気づいているのは、女房役の野々松だけだ。

(あいつ、試合中に何考えてんだ)

 構えていない栄人を確認して、野々松も観客に目を向けた。見つけることは出来なかったが、栄人が柔らかく笑ったのを野々松は見逃さなかった。大事な試合のマウンドに立っておきながら、女と視線を交わすなんて言語道断。もっと目の前の試合に集中するべきだ。
 入寮したあの日、荷物を開けないままランニングしていた野球馬鹿は変わってしまった。今マウンドに立っているのは三十人の中から選ばれたピッチャーではない、恋をしているただの馬鹿だ。栄人に似つかわしくない柔和な笑みは野々松を不安にさせた。
 栄人が帽子を被り直し、投げる体勢に入った。向かい合う野々松は不安を拭いきれないまま、キャッチャーとして気を引き締めた。すると、栄人は袖達をバッターボックスに閉じ込めるかのような威光を放った。
 栄人の投げた球はとてつもなく速く、その一球で、野々松にあった不安は一気に消え失せた。

「ストライク!!」

 審判の声が響いたと同時、袖達から感じる威圧は増した。藤瀬の球がミットに納まるのとは違う、力強い音。それは袖達の中にあった栄人の格付けを変えただろう。勝ち上がり続けなくては立てないバッターボックスのような感覚で、袖達は今構えているだろう。
 二球目の投球体勢に入る栄人。今の栄人に普段の可愛らしさはどこにもなく、人を恐れ服させる力が、投球に詰まっているようだった。
 二球目も一球目と変わらない速さだったが、袖達はバットを思い切り振って球に当てた。球はピッチャー前へ転がっていき、栄人はそれを拾い上げ、安定した動きでファーストに投げた。

「アウトォ!!」
「くそっ」

 一番打者袖達、二球目をピッチャーゴロ。記録的にはこれだけで済むが、ベンチへ帰っていく袖達がグラウンドに残したものはそれだけではなかった。

(は、速ぇ……)

 袖達の走力は選抜チームにとって脅威なのだと、改めて思い知った。今回はピッチャーゴロに抑えられたが、もしランナーとして出してしまったらかなり危ない。間近で見た夢高レギュラーの実力は、グラウンドに緊張感を広めた。
 野々松が腰を下ろすと、二番打者の楢山がバッターボックスに入った。人をからかうことが好きなお調子者と聞いていたが、この場では流石に無口だった。
 楢山は慎重に構えているように、野々松には少なからず見えた。いくら足が速くても、打率が低ければ夢高の一番は任されない、その袖達を抑えた栄人を、少なからず評価しているような様子だった。
 楢山は袖達と違い威圧はあまりないが、おそろしく冷静だった。ファウル二本と、早くも追い込まれていてもだ。
 栄人が三球目を投げて、審判は。

「ストライク!!」

 ミットに納まる豪快な音とともに、二死とした。

「なかなかやるな。あのピッチャー誰だ?」
「光利ですよ。あの鈴浦中の」
「あー……あいつか」
「でも、次からはそう簡単に止められないぞ」

 記者たちは栄人を見定め始めた。中学時代に騒がれたピッチャーは有名なようで、そう言えば左腕だったなあ、と思い出している者もいた。

「次は普通科の安だろ? 和城がいなきゃ強肩でキャッチャーだし、岩本がいなきゃ五番張ってる男だもんな」
「和城に続き、体育科以外の部員がこうも突出していると面目丸潰れですね」
「逆にそれが、体育科部員の気が引き締まるんじゃないか? 実力的には何も問題はないんだからな」

 ペンを構える記者たちは、栄人ではなく安を評価する。いくら天才と騒がれていたとしても、それはあくまで中学生というカテゴリーでの話だった。
 栄人は一年生になって数日、安は夢高の厳しい練習に二年間耐えた三年生。経歴(キャリア)の問題だった。

「結構速いよね」
「えっ……あ、はい」

 安に初めて話しかけられた野々松は咄嗟に答えた。いつも穏やかに笑っている良い先輩、それが安の印象だが、二年生の先輩たちは口を揃えて忠告してきた。安さんだけには逆らうなと。

「……ボール!!」

 審判は栄人の一球目を判定した。ここに来て初めて、野々松はミットを大きく動かして捕球した。安を見ると、落ち着いている。勝手にボールとなったわけではないと分かっているようだ。捕球した野々松に笑いかけ、次に投球した栄人に笑いかけた。

(この人、なんか怖ぇよ……)

 バッターの動揺を誘うため、キャッチャーからバッターに話しかける作戦もあるが、安に至っては通用しないだろう。バッターは打つことに集中して構えるものだが、安は栄人と野々松に何かと絡んで余裕を見せる。それが集中していない表れなら野々松も何とも思わないが、安の集中は乱れていない。そこが恐ろしい。
 バッターボックスに立ち、絶対打つ余裕の笑みを見せては下級生を震いあがらせる。これは彼の意図的な牽制ではない。そのような姑息なことをする人には見えないし、レギュラーが一年生相手にそんな手段をとる意味もない。
 人に恐怖を与える、それが彼の本質なのだ。安の後ろで構える野々松は、初めて二年生の忠告の意味を理解した。



--------------------------------------------------------------------------------
 Top